子どもが巣立ってから、私は何度も何度も泣きました。
「もう何年も経つのに、まだ?」
自分でもそう思う日もありました。ただ寂しいという感情だけで、こんなに何年も泣き続けられるものか、と。
でも今ならわかります。
寂しいのは、子育てをちゃんとしてきた証なんだと。
子どもが巣立った日、本当に寂しかった理由は
夫が単身赴任で家を出て、それから長男が進学のために家を出て、そして最後に次男が家を出て。
家の中は、しんと静まり返りました。
うちの息子たちは騒がしいタイプではなかったので、普段から家の中が騒がしいということはありませんでした。
だから、実際にはいつもと同じように静かなだけだったのですが、それはそれは、残酷な静けさでもありました。
本当に、誰もいなくなったんだ
家の中は昨日と同じ。
テーブルも椅子も、時計の音も変わらない。
変わったのは、「帰ってくる人がいる」という前提だけでした。
その前提がなくなった家は、思っていたよりずっと広かったのです。
空の巣症候群は、いつまで続くんだろうと思っていた
痛みはいつか消えるもの
悲しみはいずれ癒えるもの
寂しさも、同じように時間がたてば薄れていくものと思っていました。
でも空の巣症候群は違いました。
形は変われど、心に置き去りにされた「逃れようのない寂しさ」は居座り続けたままでした。
美味しいものを食べた時、一緒に喜んだあの日の事を思い出すし、
どこへ行っても一緒に過ごしたあの時間が絡みついて離れてはくれない。
もういっそ、この地を離れてまっさらな場所に行きたい、そうでもしなければこの感情は消える日はない。そこまで切羽詰まった気持ちにかられることもありました。
夫が単身赴任になり、長男が家を出て、次いで次男も家を出て。
父は病に倒れ、母は旅立ち。
あの頃の私は、
「母親」という役目を終えたあと、
自分の中に何も残っていないような気がしていました。
空っぽ。
その言葉しか思い浮かびませんでした。
「空の巣症候群はいつまで続くのか」という答えは、人それぞれなのだと思います。
少なくとも私にとって、「〇ヵ月で終わる」というものではありませんでした。
「乗り越えた」のではなく、少しずつ自分を取り戻した
それでも生活は営んでいかなければなりません。
空っぽの心を抱えながら、少しずつ前に進みました。
でも進んだと思ったら、大きく後退したりもしました。
その繰り返しで、今があります。
もし、私が誰かに
空の巣症候群をどうやって乗り越えましたか?
と聞かれたら、
私は少し困ってしまいます。
「乗り越えた」という感覚がないからです。
気づいたら、
寂しさと一緒に暮らせるようになっていました。
だから私は今でも、ときどき泣きます。
寂しさと暮らすために、私がやってみたこと
それでも少しでも前に進むために、試してみたことはあります。
数年前の私は、YouTubeでもこのことを話していました
子どもが巣立った寂しさについて、私は数年前にYouTubeでも話していました。
今見ると、あの頃の私はまだ寂しさの真ん中にいたんだなと思います。
よかったら、当時の私の「空気」も残しておきます。
あれから何年も経ち、私は今も、ときどき寂しくなります。
でも、以前とは少し違います。
気配を感じさせるものを目につかないよう移動させる
小さなことですが、苦しく感じるものを見ないようにするという事はかなり寂しさから逃れられます。
子供部屋を片付けるのは少し待った方がいいかもしれません。
部屋にはまだかすかに子供の匂いが残っていたりするのでとても危険。
しばらく部屋を封印して心を立ち直るまで待つのも、自分を守る大切な儀式です。
自分が癒されるものを見つける
自分がフワフワした手触りのものに心が癒されていることに、最近気づきました。
トイレマットをふんわりしたものに変え、足の裏にふわふわが触れるだけで、
「あぁ、今日も大丈夫」
と思える日がありました。
食器が好きならば、お気に入りのものをこれを機に集めてみるのもおすすめです。
たったそれだけのことですが、自分を癒すのに十分なアイテムになります。
これまで家族に向いていた意識を、急に自分に向けるのは案外大変です。
もしかしたら、自分を優先することに罪悪感を覚える方もいるかもしれません。
でもこれを機に、小さなことから自分を大切にするような行動を積み重ねてみる。
それだけのことですが、ずいぶんと救われてきました。
「母親」ではなく「私」として過ごす時間を作り始めた
子育て中は、やりたいなと思ったこと・興味を持ったことに、正面から向き合える時間も心の余裕もありませんでした。
だから、子供が巣立って身軽になった体で、やりたくてもできなかったことをしてみることにしました。
久しぶりに編みものを始めたり、
まさかのYoutubeを始めたり。
もちろん、Youtubeでなくてもブログもとてもいいと思います。
日記もいいですが、誰かに向けて発信するという事が、私には心のすき間を埋めるのにとても有効でした。
また、運動は好きではありませんでしたが、体を動かすことは気持ちを切り替える、大きな助けになりました。
散歩に出かけるだけで、気持ちよい風を感じたり、生き生きとした草花を目にするだけで、ずいぶんと気持ちが前向きになるのを感じました。
家の中でも運動は出来ますが、外に出て季節の移り変わりを五感で感じるのは、気分転換にとても効果を感じています。
家の中では、思考が同じところをぐるぐる回って解決の糸口が見つからないけれど、
一歩外に出ると、案外新しいアイディアが浮かんだりもします。
子どもには、私のことを心配するより、自分の人生を思い切り楽しんでほしい。
そう思うようになってから、私も少しずつ自分の体を大事にするようになりました。
こうしていつの間にか私は、
少しずつではありますが、「母親」から「私」としての時間を作れるようになっていました。
「私は私を思い出す時間が必要だった」ようです。
ある日気づいた。「寂しさ」は消えたのではなく、形が変わった
夫が単身赴任した時もそう。長男が、次男が巣立っていった時もそう。
毎日毎日泣いていました。
泣き暮らしていました。
泣いて悲しんでいる私の姿など、彼らは想像もしていないだろうと思うと、さらに涙が出ました。
そのうち
息子たちが帰省し、それぞれが帰っていった後に泣くようになりました。
時々、楽しかったことを思い出してまた泣きました。
息子から贈り物が届きました。
初任給で買った、私へのプレゼント。
嬉しくて泣きました。
今でもたまに泣きます。
でも以前と同じではない。
時間は流れました。
私が私を取り戻せるほどに。
子どもが巣立ったからこそ、これからは自分を育てていく
私の子育ては終わりました。
大学在学中は、「まだまだ子供」と「終わり」を認められませんでした。
就職しました。遠くに。
正直、いろいろな感情が渦巻いたことは隠しません。
受け入れるまでには時間がかかりました。
プライベートでいろいろありました。2024年に突如として、いろいろ変化しました。
極めつけは事故にあいました。
生死をさまよう…という訳ではなかったけれど、この時に私のスイッチはカチリと音を立てて入れ替わったのだと思います。
torico私は私を生きるよ
いじけて暮らすのはもう終わり。
これからは私の人生。
みんなを送り出してきた、私だからこそできる。その強さがある。
子どもが巣立った寂しさは、きっと完全にはなくならないのだと思います。
だって、それだけ大切に育ててきたのだから。
でも今は、寂しさだけではありません。
散歩をしながら季節を眺めたり
好きな器でご飯を食べたり
古い梁を見て感動したり
そんな「私だけの楽しみ」が少しずつ増えてきています。
母親だった時間は、私の人生の大切な一章。
あの頃の私が想像していた未来とは、少し違うけれど。
そして今は、その続きを書いている途中です。
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