プロフィール

プロフィールをご覧いただき、ありがとうございます。

このページでは、当ブログの運営者・toricoのプロフィールやブログの発信内容などを紹介します。

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運営者「torico」について

夫が単身赴任になり息子たちと楽しく暮らしていたものの、一人巣立ち、また一人巣立ち。

わかってはいたことだけど、気づけば家に私一人残されていました。

夫の赴任地に一緒に住めばいいのでしょうが、「家から通うのは難しいけれど3時間もあれば帰ってこられる距離」というのはなかなか微妙な距離で。

一か月に二度程度、その他出張があるたびに帰ってきていたので、寂しいと思いつつも

これもつかの間のバケーションと思えばいっか

くらいに思っていました。

そんな寂しくも気ままな生活を送っていたのは1年ほど、父が病に倒れたことから生活は急変しました。

要介護5と認定され、すべての生活が一変。

訪問看護さんやヘルパーさんはいるものの、私も父の生活の世話をするために毎日実家通い。

父の様子にわずかながら希望が見えてきたそんな中、母との突然の別れ。

それは今でも引きちぎられる様な思いが残り未だ消化されぬままでいます。

そしてさらに、そんな悲しみの中で交通事故にあい入院。

これら全て2024年に起きたこと。

こうして振り返ってみても、2024年という年は、私の人生の中でも大きな変化が起きた年でもありました。

現在は

父の元来の生命力や努力の結果、また、さまざまなサポートのおかげもあって、ありがたいことに現在の父は要介護度が3になり、寝たきりの生活ではなくなりました。

以前に比べればだいぶ楽になったとはいえ、食事や洗濯などの生活を支えるべく、毎日の実家通いは相変わらず。

子育てが終われば次は親の介護、とは聞いていたしわかってもいましたが、本当に突然降りかかってくることなのだなぁと実感します。

それでも今はそれぞれの事がなんとなくですがそれぞれの位置に収まってきた、という感じでしょうか。

自分でも意外なことに私は、どんな状況下でもその環境に馴染めるというか、最初は相当戸惑うものの、その後は割とすんなり受け入れられるようで、

ま、なるようにしかならないよね

と受け止めています。

案外図太い、我ながら。

トリコノオトとは?

「トリコノオト」の意味は、「トリコ」の「ノート」、で「トリコノオト」です。

このブログはトリコの人生後半の生活を綴った「ノート」であり、

Youtube活動をしていた際、食材をカットしたり葉っぱがこすれあう際などの「音」をコンセプトの一つにしていたので、

「トリコ」の「音」という意味もあり、それで「トリコノオト」となりました。

では「トリコ」とは?ですが、以前ブログを書いていた際のハンドルネームが「コトリ」だったので、単純に並べ替えて「トリコ」を採用した次第。

あの頃ブログに訪れてくれていた方々に、巡り巡って今の私が届けばなんだか楽しいなと。

これもこのブログの軸でもある「面白がる」の一つかもしれません。

面白がって、平気で生きたい

おごらず

人と比べず

面白がって平気に生きればいい

これは樹木希林さんの言葉です。

特に樹木希林さんのファンというわけではないのですが、この言葉はなぜか私の心の中に深く眠っていたようです。

そしてある時に澱が舞い上がるように、私の中を浮遊し始めたのです。

そうだ、これを私のこれからの指針にしよう

とはいえ、私は希林さんのように達観できるとは思えないし、実行できるとも思えない。

そこで

面白がって、平気で生きたい

という「そうなれたらいいな」的な希望のようなものになったというわけです。

でも言ってみる・思ってみるというのは大切なもので、

何か困ったとき・選択に迷った時など、自分の中で答えが出ないときなどに

うん、面白そうな方を選ぶか

と決めるのが楽になったという予想外のメリットも。

もちろんそれは誰にも迷惑をかけない範囲の話であることは当然ですが、

普段から冒険をしない、石橋を叩いて叩いて結果叩き割って「ホラ、渡らないでよかった」という超慎重派の私には、新たなことを挑戦をするきっかけになることもしばしばあります。

この「トリコノオト」もその一つかもしれません。

ブログは私のマインドマップ、思考のアーカイブ

このブログは、これまで私が続けてきた「自分を綴る」ということの最終形態に位置付けています。

子育てに奮闘していた時期は母としての気持ちを、いろいろな視点から書いていた時もありました。

子供が巣立っていったあとは、予想はしていたものの想像を軽く超えた寂しさに醜く戸惑う様子を、動画と共に表現してきました。

でも今、そこから少しまた先に進もうとしています。

というのも、私がなぜ書くのか、と自問自答してみたところ、それは

書くことで心が軽くなっているから

でした。

本来の意味合いは違うでしょうが、私にとってはジャーナリングや瞑想という感じです。

過去の自分(=過去に書いた記事を読み返しリライトする)と向き合うことは苦しい事でもあります。

でもそれをすることで心が浄化される、大げさに聞こえるかもしれませんが、私にとってはそれくらい大きなことでした。

もちろんそこには痛みも伴います。

魂を削る、という感覚もあります。

でも書き終えたあとには、重い上着を脱いだような爽快感が残ります。

そんなメリットがあるからこそ、過去の自分と向き合えるのだと思います。

「トリコノオト」という「野中の一軒家」を居心地の良い場所に

私の人生にも、一歩、または数歩先を行く先輩たちがたくさんいました。

その時はわからなかったけれど「あぁ、あの時言われたのはこういうことか」とだいぶ後になってから気づいたことがたくさんあります。

その方々のあの言葉は、今の私が進むべき道筋を示してくれています。

私も誰かのお役に立てたら。

私の経験が誰かの助けになれたなら。

人生も後半に入り、そう思うようになりました。

だからといって私がそうなれる、とは到底思いませんが、

もしも、私が通ってきた道が誰かの道しるべになったり、

誰かの背中をそっと押してあげられるようなことになれば、こんなにうれしいことはありません。


「トリコノオト」は、大勢の人が集まるアメブロや、見識者が集まる「note」とはちょっと違います。

例えるならば「野中の一軒家」です。それもかなり田舎にある。

ご近所には誰もいません。だから回覧板を回すのも一苦労です(?)。

でも、何かの拍子に偶然このボロ屋に迷い込んだ方がいたならば、どうぞゆっくり過ごしていって下さい。

ベンチもあります。給仕はしませんがお茶も用意してあります。蚊取り線香も炊いてるから安心して長居してください。

私も邪魔しません。きっと、お隣にいつの間にかいた方も邪魔はしません。

だれも傷つけません。

だって、いろんなものを抱えて、ここへ辿り着いたのでしょう?


ここは私の人生後半の住まいです。

面白がって、平気で生きたい

まだまだそうなれそうにはないけれど、これからの生活を一緒に見守っていただければ幸いです。

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