60歳でダイエットをやめた理由|体重より健康を選んだ私の話

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私は60歳でダイエットをやめました。

でも「もう痩せることを諦めた」のではありません。

むしろずっと体重に振り回されていたからこそ、最後にたどり着いた答えです。

60歳になって気づいたのは、「痩せること」と「健康になること」は同じではないということでした。

その気づきが、私を長年抱えていたダイエットという宿題から解放してくれました。

今は体重計の数字より、健康に暮らしていけるための体づくりを考えるようになりました。

この記事では、私がダイエットを卒業するまでの経緯と、その後の暮らしについてお話しします。

目次

ダイエットは人生の宿題のような存在だった

若い頃からずっと、頭の隅には「ダイエット」という荷物が置いてありました。

太っていることがコンプレックスだった学生時代

私がダイエットを意識し始めたのは中学生の頃からでしょうか。

小学生の頃は通学も30分位かかり、放課後は校庭が解放されていた時代だったので、先生に怒られるまで遊ぶ、そんな生活でした。

でも中学校がバス通学になり、思春期が始まったことも重なったためか、初めて「ふっくら」した自分を経験し、次第に見た目が気になって仕方なくなりました。

とはいえ母親が食事を管理している中学生ではダイエットをすることもできません。

若いからお腹は空くし、まだまだ我慢が効く年齢ではなかったため、痩せられることはありませんでした。

その後の学生時代も、交友関係が広がったことで食事も中学生の頃に比べれば自由にはなったものの、その分ジャンクフードやお菓子を食べることが増えたため、この頃が人生で一番太っていた時期でした。

病的に痩せた社会人時代

ところが社会人になるとそれまでの生活は一変。

当然のことながら規則正しい生活になり、加えて今でいうところのパワハラ気質の上司にメンタルをやられてしまい、体重は42㎏に激減。

結局ストレスで胃をやられてしまい退職することになりましたが、その後再就職して心も安定し体重も44㎏に。

好きなものを食べてこれといった運動もせずともスリムな体型を維持し続けられていました。

今思えばこの頃から結婚するまでの10年間ほどダイエットとは無縁だった時期でした。

何を食べても太らなかったから、自分は体重を管理できる人間と思っていました。

産後38㎏時代

出産をして初めての子育てに奮闘し半年ほど経った頃でしょうか、急に痩せ始めました。

38kg。身長は158センチです。

母乳を出すために必死になって食べていた時期で、痩せてしまった理由も当時はよくわからないままでした。

乱高下のち安定の40代

子供が小学校・中学校と進級する間に40代に突入しました。

その頃の体重は45㎏。

運動は一切せず、子供たちも活動的というより読書を好むタイプだったから、男の子の親としてはかなり活動量が低い方だったと思います。


こうして私は、努力しているわけではないのに太らなかったのをいい事に、魔の時代に突入することになったのです。

50代になって努力しても痩せなくなった

50代からは、それまでのツケが回ってきたようでした。

人間ドックに小さく灯りが点滅し出した50代のスタート。

いよいよ根本的な改革をしなければならない時でした。

詳しい経過はこちらの記事にまとめています。

月曜断食で痩せた。でも、それで終わりではなかった

この先何をしたらいいかわからない。何を信じて進んでいけばいいのか、もう何もわからない。

そんな目の前が真っ暗だった時に偶然出会ったのが「月曜断食」でした。

そしてこれが大成功でした。

あんなに正しい筋トレと正しい食事をしたのに出なかった結果が、月曜断食でいとも簡単に手に入ってしまったのです。

嬉しかった。すごく、嬉しかった。

私、まだ痩せられるんだ。何をやってもダメじゃなかったんだ。

月曜断食でスルッと痩せられたことで自己肯定感が上がりました。

自分を卑下しがちだったけれど、私に合う方法に出会えればちゃんと結果はついてくるんだと、何より自分で自分を認めてあげられた、そんな気分でした。

でも……

ここから私の価値観が変わり始めたのです。

あすけんを使って気づいたこと

「あすけん」をご存じでしょうか。

パソコンやスマホ等で使えるダイエットアプリ

その日に食べたものを入力・撮影するだけで1日の栄養管理ができる。AI栄養士のアドバイスで記録した食事内容に基づいて、その日に足りない栄養素のアドバイスや改善のヒントを毎日提案してくれる

いわゆるレコーディングダイエットですが、記録することで食生活を可視化できるのはとても重要なことです。

私はあすけんで初めて「健康は体重だけでは測れない」ことを知りました。

あぁ、健康ってこういうことなんだ」と気づいたのです。

そのことに気づいてからは、聞きかじった知識でダイエットを始めるのは、大海原を海図を持たずに航海することと同じくらい危険だと思うようになりました。

その無防備な航海には危険も伴うし、志半ばでエンディングを迎えることになるかもしれません。

でも、行く先を照らしてくれる灯りがあれば、道を正しく示してくれる地図があれば、回り道をせず危険なめに合うこともなく、目的地に到達できます。

迷い道ばかりだった私のダイエットは、ついに「目的地に連れて行ってくれる地図」を見つけたことで、道に迷う心配はなくなりました。

「痩せる」と「健康」は同じではなかった

60歳になり、これからどんな風に生きていくか・自分がどう生きていきたいのかというそう遠くない未来を、より現実的に考えざるを得ないことが増えてきました。

親の介護をしていくには、自分が元気でいなければならない。

そのためには、体重を減らすことではなく、毎日を元気に暮らせる身体をつくることが大切でした。

そう考えるようになったとき、私の中で「ダイエット」と「健康」はまったく別のものになりました。

今の私が大切にしていること

ダイエットをやめると決めたあと、私が何を大切にして暮らしているのかを紹介します。

身体を整えることは、自分を守ること

例えば、朝目覚めてベットの中で軽く運動。

これは急に起き上がって何かあったら大変だから。自分を守るためと、私に今求められている役目をこなすため。

起きたら準備しておいた服に着替えてウォーキング。朝から選択に悩んで「今日は行くのやめようかな」とならないための作戦です。

歩きながら

毎朝こうして自分の足で歩けるって幸せだなぁ

と、普段なら見落としがちな小さな喜びを嚙み締めたり、

毎年秋になるとこの場所に菊の花がきれいに咲くなぁ。見せてもらえてありがたい

誰かが手入れしてくれているから見られる景色なんだな、と自然に感謝が湧いてきます。

以前は心拍数を上げて強度を高く早歩きで…と頭をカチカチにしながら歩いていましたが、今は「ちょっと朝の涼しい空気を吸いに行く」感じで、構えずにリラックスした状態を楽しんでいます。

身体の声を信じるようになった

長年、「朝食は食べるもの」と思っていました。

でも今は、自分の身体の声を信じるようになりました。

私は朝、お腹が空きません。

だから今は、白湯やスープだけの日もあります。

世間の正解より、

自分の心地よさを選ぶ。

それも私にとっては、健康の一つでした。

一般論に惑わされず、自分の気持ちを優先する、こんな小さなことから私の改革が始まった気がします。

食事は我慢ではなく楽しみになった

食べ方も随分変わってきました。

昼は鮭・ブロッコリー・トマトのシンプルなお弁当、夕食は蒸し野菜を定番としてあとはあすけんに聞いて足りない栄養素を入れるという感じです。

蒸したての野菜は驚くほど甘くて、「野菜ってこんな味だったんだ」と毎回思います。

ダイエットのために食べていた野菜が、今では楽しみになりました。

お酒も平日は食後にワインを1杯楽しむ程度。これまでは食事と一緒にペアリングと称していそいそとワインの沼にハマっていましたが、それはたまのご褒美に移行させました。

量は減ったのに、満足感は増えました。一杯と決めたワインはしみじみ美味しい。

今後自分が元気で暮らしていける一つの対策でしたが、少しのお酒をのんびり味わうことを知ることもできて思いがけない発見でした。

ただ…こればかりは休みの前日は飲み過ぎてしまう傾向もあり…です。

一番変わったのは、自分との付き合い方

完璧はもう目指しません。

でも断然心地良い。

振り返ると、変わったのは食事だけではありませんでした。

私は母として、主婦としての役割を「私」の上に着る「着ぐるみ」のように感じていました。

主婦としての着ぐるみ・母としての着ぐるみ、私は長い間、それを着たまま暮らしてきました。

一人暮らしになってからも、なかなか脱ぐことができませんでした。

でも60歳になった今、少しずつ脱げるようになってきた気がします。

自分を後回しにしない。

身体の声を聞く。

疲れたら休む。

食べたいものを食べる。

歩きたいから歩く。

そんな当たり前のことが、ようやくできるようになりました。

ダイエットをやめたというより、私はようやく自分を大切にする暮らしを始められたのかもしれません。

そう思えるようになったことが、60歳の私にとって一番大きな変化でした。

ダイエットをやめて失ったもの、得たもの

私はダイエットをやめて、重い荷物を降ろして楽になりましたが、失ったもの・得たもの、両方あります。

46㎏の体は失いました。

でも60歳からこれから先の健康を手に入れました。

流行りのものや話題性のあるものに飛びつくことは出来なくなりました。

でも心に余裕ができて、人の話に流されなくなりました。


大きなものを失った代わりに、得たものはこれから先の私にはとても大きかったです。

特に私は自己肯定感がとても低かったので、いろいろなことを受け入れられた自分も嬉しかったし、そう思える自分も嬉しかった。

自分に大きな花丸をあげたい。

60年生きてきて、ようやくそう思えました。

それでも体重を気にする日はある

もちろん体重が気になることもあります。

街でスリムな高齢女性を見かけたとき

おしゃれなファッションを着こなしている人を見た時

あぁ、痩せられたらなぁと思う日はあります。

お風呂の鏡を見るたびに、「昔はこんなじゃなかったのになぁ」とため息が出る日もあります。

でも昔とは向き合い方が違う

今の私は、この身体で生きていく理由がある。

先の事なんてわからない、いつまた「気づいたら痩せてた」と思うこともあるかもしれない。

だけど、今は納得してこの私でいる。

それでいいんじゃないかな。

最後に|60歳になって好きになれた自分

長い間、私を縛っていた「ダイエット」という宿題は、ようやく終わりました。

元気に歩けること。

美味しくご飯を食べられること。

毎日を面白がって過ごせること。

60歳になって、ようやく私は「健康になる」という本当のスタートラインに立てた気がしています。

これからは、身体を責めるのではなく、寄り添いながら暮らしていきたいと思っています。

年齢を重ねると思いもしなかった出会いもありますね

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この記事を書いた人

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60代。
子どもたちは独立、夫は単身赴任。
更年期や空の巣症候群を経て、人生後半を試行錯誤しています。
面白がって、平気で生きる練習中。

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