おさかなマスク作りは瞑想の時間|思いがけないところに開いた扉

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苦手なことは誰しも一つや二つあると思います。

私にも両手に余るほどの「苦手なこと」がありますが、その中でも苦手中の苦手、こうなったらもう私の人生とは関りを持たないほうがメンタルを守るため、とすら思っていたほどのことです。

それはミシン。

それなのに、これだけ苦手意識を持っているにもかかわらず、

マスク不足に不安を超え恐怖すら感じ始め、

このままでは大事な家族を守れないと肌で感じた結果、全くミシンを使えない私が無謀にもマスク作りに手を出したのが2020年4月13日。

それから一か月の間に、私の中で大きな変化が起きました。
大きな変化がありました。

多分それはきっと、私の今後の人生の道筋を見つけたような、大きな変換点でもあったのです。

目次

「私にはできないこと」から脱却せざるを得ない状況

それでもやらなきゃならない時は来た

子供たちの食生活を守るために、完全お弁当生活の幼稚園を選んだこともそうですが、母親としてできることは何でもやろうと思っていました。

そんな私ですら

入園の際のバック作り、無理。母に外注だわ

と、娘とは違って母は裁縫が得意でした。私が子供のころは、時代的背景もありますが、私たち姉妹の服は全部母が作ってくれていたほどです。

初孫を可愛がってくれていた母にとってはお安い御用、むしろ願ったり叶ったりだったため、これ幸いとレッスンバック作りを母に「外注」していました。

その後、小学校入学の際には市販のシンプルなバッグ等を買い、子供がワッペンをアイロンで貼り付けたりして、なんとかミシンを遣わずにしのいできました。

そのため、私のミシン技術は下がる一方、糸のかけ方すらうろ覚えの状態でした。

それがあの未曾有のマスク不足により、「自作でもしなければ手に入らない」という状況になってしまったわけです。

裁縫が苦手な私でも、家にミシンはありました。何かの時に使えるだろうと、母がくれたのです。

いらない、もらったって使う日は絶対に来ないからねと言ったのに

本当に、本当に使う日など来ることはないと思っていたのに、まさかのこんな日が来るとは。

深呼吸を一つして、意を決してミシンを出してきたものの

針が折れ押さえはなくなっていて見つからず早くも断念

やっぱり無理

無理だけど、マスクが手に入らない異常な状況は変わらず、私が何とかしなければ家族を守ることができない。

諦めきれず再度ミシンを出したものの、上糸すらセットできずに断念

泣きたい

ポンコツ。

ミシンが。

いやいや自分が!

この一連の感情の流れは、グーグルカレンダーを利用した「1行日記」にはこんな悲壮な心の内が赤裸々に綴られていました。

さて、この日記から読み取れることがあります。

それは、私の性格が「異常なまでにしつこい」ということです。

  • 往生際が悪い
  • 執念深い
  • ポンコツ
  • もはやマスクのストーカー

我ながらそんな言葉が浮かんできます。

ロングラン上映を果たした「国宝」の中の万菊さんのセリフ、

それでもいいの。それでもやるの。

あの頃だったらきっと、泣きながら

それでもやるの

と言いながらミシンと格闘したことでしょう。

今振り返ってみると、その時ばかりは本当に、この自分でもしつこいと思う性格が良い方向に向かった気がします。

格闘はまだ続く、でもやがて光が

(醜い)話はまだまだ続きます。

ミシンと向き合い始めた当初は、

ミシンを見ると吐き気がするからやりたくない

と思っていました。

ミシンが悪いのではなく、自分のポンコツさに吐き気がさしていたのですが。

それでも目の前の現実から逃げるため、普段なら絶対見て見ぬふりをしてやらないような服の整理とか、棚の片付けなどを始めては

これ(片付け)があるからできないのは仕方ない

と言い訳をつけてミシンから逃げていました。

そうはいっても当時はまだ世の中にマスクの供給が全く追いついておらず、

いつマスクが手に入るか全くわからない状況だったため、やりたくなくてもやらなければいけない状況でした。

相変わらず私の体や脳が全力でミシンを拒否していたけれど、そんなことは言っていられない状況下で、嫌々ミシンの前に座る毎日。

ミシンが楽しいと思える日がこようとは

これはもう…本当に不思議なもので、

嫌なことでも仕方なくても毎日続けていると、いつのまにか最初の頃の強い拒否反応がなくなってきていました。

さらには、家族の洗い替えまで考えてマスクを数枚作って送った頃になると

あれ…?ミシンって楽しい

と思えるほどになっていました。

その頃は、苦手で出来ないと思っていたものが出来るようになったから楽しい、ということだと思っていました。

でものちにそれが違っていたことがわかりました。

マスク作りは「瞑想時間」だった

やがてだんだんとではありますが世の中にマスクが出回るようになりました。

出先で偶然買えたり、適正な価格で手に入るようにもなり、長かったマスク不足の不安は一応これで収束かな、というところまで来ました。

そうなると、もうマスクを作る必要はなくなります。

それなのに、マスク作りがやめられないのです

マスク不足当初、なんとか手に入れた、手ぬぐいやランチョンマットなどの布は行く先を失い、代わりに突如として寂しい気持ちが襲ってきました。

最初はその気持ちの理由が何だかわからなかったのですが、今ははっきりとわかります。

それは、「瞑想」です。

瞑想に間違いはない、自分が瞑想だと思ったらそれが正解

瞑想に関しては以前から興味があり、瞑想をして心の平穏を保ちたいと思っていました。

  • 本も買った
  • CDも買った
  • 動画を見てやり方を真似てみた

でもどうしてもうまくできず、瞑想をすることにストレスを感じてしまい、自分にはできないのだと諦めていたのです。

それがあまりにも意外な方法で深く瞑想状態を得られることがわかりました。

そう、私にとってマスク作りをすることが瞑想だったのです。

あれほどまでに強い苦手意識がだんだんと薄れ、ミシンの扱い方やマスク作りの手順に慣れた頃から、マスク作りは私の癒しになっていたようなのです。

それに気づいてからは、自分が癒されたい一心で、少しでも時間があるとマスク作りをするようになりました。

あっという間に「誰が使うの、これ?」というほどの量のマスクが山積みに。

それでも、先が見えない不安を抱えて過ごすあの時の、唯一の心の安定だったのです。

ポンコツにはポンコツの未来がある

もしもタイムマシンがあるならば、私は私を守るために「一行日記」の中にいる4月13日の私に言ってあげた。

ポンコツにはポンコツなりの未来があるよ

と。

出来ない・苦手・無理、と投げ出すのは間違いではありません。

それは「自分の心を守るための手段」になっている方もたくさんいるでしょう。

私もその一人。

たくさんの経験をしてきて、自分を追い込んだこと・自分を責めたことが数えきれないほどあり、そのたびに自分を諦めてきた、昔の自分。

でもそれはそれでいい。それが。私。

その時があったからこそ今の私がいる。苦しい経験ですら今の私を作る材料になっている。

そして、それらがなかったら今の自分はないのです。

自分をけなしてもいいのは自分。自分をさげすんでいいのも自分。

自分をポンコツ呼ばわりしたっていい。

だってそれが全部自分の糧になっているから。

自分にがっかりすることはありません。むしろがっかりを楽しんでしまおう。

今できないことは、未来の私にはできるようになっているかもしれない。

だから今日の『できない』だけで、自分を決めつけなくてもいい。

あの日の私は、ミシンが瞑想になるなんて想像もしていませんでした。

だから今も思います。

ポンコツには、ポンコツにしか見えない未来がある、と。

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60代。
子どもたちは独立、夫は単身赴任。
更年期や空の巣症候群を経て、人生後半を試行錯誤しています。
面白がって、平気で生きる練習中。

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