子どもが巣立ってから、私は何度も何度も泣きました。
「もう何年も経つのに、まだ?」
自分でもそう思う日もありました。ただ寂しいという感情だけで、こんなに何年も泣き続けられるものか、と。
でも今ならわかります。
寂しいのは、子育てをちゃんとしてきた証なんだと。
子どもが巣立った日、本当に寂しかった理由は
夫が単身赴任で家を出て、それから長男が進学のために家を出て、そして最後に次男が家を出て。
家の中は、しんと静まり返りました。
うちの息子たちは騒がしいタイプではなかったので、普段から家の中が騒がしいということはありませんでした。
だから、実際にはいつもと同じように静かなだけだったのですが、それはそれは、残酷な静けさでもありました。
本当に、誰もいなくなったんだ
ということを無理矢理に「認識させられた」瞬間でもあったのです。
それでもあの頃は、一人になったことを前向きに考えようと努力はしていました。
ご飯を作らないで済んでラッキー
洗濯物が減って楽
でも、一人の家は思っていた以上に広く感じました。
寂しさを消すためにいろいろ試してみた
子供の気配を感じさせるようなものを目につきやすい場所から移動させる
子供たちが使っていたものが目につくと胸が痛むので、目にはいらないようにするというのは表面的な対応として役立ちます。
小さなことですが、苦しく感じるものを見ないようにするという事はかなり寂しさから逃れられます。
例えば…
着ていたもの・履いていたものを見えない場所に片付ける
滞在中に使っていたものを見えないように覆いをする
子供が帰った後の部屋を片付けるのは少し待った方がいいかもしれません。
寝具を洗ったり掃除機をかけたいところですが、部屋にはまだかすかに子供の匂いが残っていたりするのでとても危険。
ここはあえてしばらく部屋を封印するのも、苦しくならない一つの方法かと思います。
自分が癒されるものを見つける
これはわりと最近のことなのですが、自分がフワフワした手触りのものに心が癒されていることに気づきました。
これまではトイレにはマットを置かない派だったけれど、トイレを使うのは私一人・掃除するのも私、そこでフワツツフワのマットを敷いたら効果絶大。
トイレを利用するたびに足の裏がフワフワすると、ほわんと嬉しい気持ちになりました。
これに続き、それまではかたくなに化繊のものは避けてきたけれど、今はジェラピケのようなフワフワに包まれてほっこりするのがマイブームです。
フワフワが頬に触れた時などは、なんとも言えない癒しの気持ちが沸き上がってきます。
たったそれだけのことですが、自分を癒すのに十分なアイテムになります。
その他、アロマテラピーや音楽も心を癒すのに役立ちます。
心が折れそうになった時にはお気に入りのアロマを炊いたり、体につけたりして、「好き」に包まれるようにしています。
食器が好きならば、お気に入りのブランドのカップやお皿・カトラリーをこれを機に集めてみるのもおすすめです。
気分も上がるし、何より1人だとおろそかにしていた食事の時間が楽しみに変わりました。
カーテンでもいいしラグでもいい、家族がいたころとは違い自分の好みを優先して選ぶという楽しみを知り、徐々にではありますが自分を取り戻し始めることができたのかもしれません。
小さなことの積み重ねで、ずいぶんと救われてきました。
「母親」ではなく「私」として過ごす時間を作り始めた
子育て中は、やりたいなと思ったことやちょっと興味を持ったことがあっても、そこに正面から向き合える時間がなかったのではないかと思います。
だから子供が巣立って身軽になった体で、やりたくてもできなかったことをしてみることに。
久しぶりに編みものを始めたりもしましたが、何よりも一番大きかったのはyoutubeを始めたことです。
これは予想外の出来事でしたが。
もちろん、youtubeでなくてもブログもとてもいいと思います。
日記もいいですが、誰かに向けて発信するという事が、私には心のすき間を埋めるのにとても有効でした。
運動は好きではありませんが、体を動かすことは気持ちを切り替える助けになりました。
ジム通いとまでいかなくても、ウォーキングに出かけるだけでずいぶんと気持ちが前向きになるのを感じました。
家の中でも運動は出来ますが、外に出て季節の移り変わりを目や耳で、五感で感じるのは気分転換にもってこいです。
また、家の中では思考が同じところをぐるぐる回ってしまいがちですが、外に出ると案外新しいアイディアが浮かんだりもします。
親が健康でいることが、子供にとってはありがたいことでしょうから、積極的に体を動かす習慣をつけたいものです。
こうして、いつの間にか私は少しずつではありますが、「母親」から「私」としての時間を作れるようになっていました。
「私は私を思い出す時間が必要だった」ようです。
ある日気づいた。「寂しさ」は消えたのではなく、形が変わった
夫が単身赴任した時もそう。長男が、次男が巣立っていった時もそう。
毎日毎日泣いていました。泣き暮らしていました。
泣いて悲しんでいる私の姿など、彼らは想像もしていないだろうと思うと、さらに涙が出ました。
そのうち
息子たちが帰省し、それぞれが帰っていった後に泣くようになりました。
時々、楽しかったことを思い出してまた泣きました。
息子から贈り物が届きました。
初任給で買った、私へのプレゼント。
嬉しくて泣きました。
今でもたまに泣きます。
でも苦しくはない。
時間は流れました。
私が私を取り戻せるほどに。
子どもが巣立ったからこそ、これからは自分を育てていく
私の子育ては終わりました。
大学在学中は、「まだまだ子供」と「終わり」を認められませんでした。
次男は大学院に進みました。オーライ、問題なし。(まだ学生だ、よしよし)
就職しました。遠くに。
正直、いろいろな感情が渦巻いたことは隠しません。
受け入れるまでには時間がかかりました。
プライベートでいろいろありました。2024年に突如として、いろいろ変化しました。
極めつけは事故にあいました。
生死をさまよう…という訳ではなかったけれど、この時に私のスイッチはカチリと音を立てて入れ替わったのだと思います。

私は私を生きるよ
いじけて暮らすのはもう終わり。
これからは私の人生。
みんなを送り出してきた、私だからこそできる。その強さがある。
子どもが巣立った寂しさは、きっと完全にはなくならないのだと思います。
だって、それだけ大切に育ててきたのだから。
でも今は、寂しさだけではありません。
散歩をしながら季節を眺めたり
好きな器でご飯を食べたり
古い梁を見て感動したり
そんな「私だけの楽しみ」が少しずつ増えてきています。
母親だった時間は、私の人生の大切な一章。
そして今は、その続きを書いている途中です。
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