人の機嫌が伝わってきて、思わず身構えてしまうことはありませんか?
私はあります。かなりあります。
これは、昔から人の感情の変化に敏感だった私が、最近ようやく気づいたことのお話です。
ずっとそうだったから、それが普通だと思っていた
私は昔から、人の機嫌に影響を受けやすいところがあります。
人の顔色をうかがうというよりも、相手の空気感を勝手に受け取ってしまう感じといえばいいのでしょうか。

あ、この人今日は機嫌が悪そう
そう感じると、その日はその人に合わせることに気力を使ってしまい、家に帰る頃にはぐったりです。
気を遣うとか、おべんちゃらを遣うというのではないのです。
ただ、相手の負の感情に飲み込まれそうになり、それに必死にあらがうため気力を使い果たしてしまうという感じ。
こういう経験をしているので、人に会うのが億劫になってしまうのです。
でも長い間、それは自分に原因があり、私が弱いからだと思っていました。
誰かに相談しても「気にしすぎだよ」と言われることがほとんどだったし、実際自分でもそう思って疑いもしませんでした。
だからでしょうか、
人生ってなんだか生きづらいな
と感じながらも、それが当たり前だと、仕方ない事だと思っていたのです。
自分の意見を言うと否定される ⇒ 私が間違っているんだと納得する
今振り返ってみればそれは相手の言葉だけを信じ、自分をないがしろにしていることの表れでしかないのですが、その頃はまだ真実にたどり着いてなかったのです。
そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか自分よりも他人を優先することに慣れてしまいました。
でも心のどこかでは、ずっと小さな違和感が積み重なっていたように思います。
ある日やってきた出来事で考えを変えるまで。
やっと心からの信号に気づいた出来事
きっかけは、本当に小さな出来事でした。
いつもの宅配ドライバーさんとのやり取りで、10年以上この地域を担当しているベテランドライバーさんは体格もよく、少し強面。
私は”相手そのもの”ではなく、その人の発する空気に自分が反応しやすいのだと思います。
以前からなんとなく苦手意識を持っていました。この辺りは自分でも知らないうちに自分を守るために身についた能力に近い気がします。その感覚はその後だいたい当たるのです。
もちろん、相手が悪い人だと言いたいわけではありません。
ただ私自身が、その人の不機嫌さに強く反応してしまって苦しいのです。
本来なら、
「怖いな」と思ったら距離を取ればいい。
でも私はなぜか、
「怖い=従う」を選んでしまう癖がありました。そういう思考の流れがあるのです。
それを対処するために経験から得た癖が、相手の機嫌が悪くても気づかないふりをして、内心びくびくしながら対応するのです。
ところがある日、そのドライバーさんの機嫌が過去最高に悪かったのです。
きっと忙しかったのでしょう、強い口調で投げられた言葉は、その場だけで終わることはなく、その後もずっと私の心の中に小さな冷たいかけらとして残ってしまったのです。
それからというもの、街中でその宅配会社の車を見かけるだけで緊張するようになりました。
置き配の予定が対面受け取りに変わった事で憂うつになる。
インターフォンの音に身構える。
ある時そんな自分に気づいて、「あれ? 私、思っていた以上に傷ついていたんだな」と思いました。
そうだ、逃げよう
私は立場というものを重んじるつもりはありません。
どんな時でも「客」として優位に立とうなど思ったことはないし、相手に対して経緯を払って接しているつもりです。
でもごくたまに、「本当にここまで我慢する必要ってあるのかな」と我に返ることがあります。
そしてそれがその時だったのです。
「そうだ、逃げよう」
と。
逃げるが勝ちとはよく言ったもので、これまでの私は、我慢すること・耐えること・人に合わせること、それが大人なんだと思っていました。
でもその時は追い詰められていたため、やっと目が覚めたのかもしれません。
我慢し続ける必要はない
自分が消耗してしまうなら、その場所から離れてもいい
やっとそう思えるようになりました。
宅配便なら、置き配を利用すればいい。
それが難しいなら、コンビニ受け取りやロッカー受け取りという方法もあります。
無理に頑張らなくても、別の選択肢はちゃんとある。
そして人間関係も同じなのだと思います。
これまで私を支配しようとした人。
私の心をすり減らす人。
そういう人とは距離を置いてもいい。
なんなら縁を切ったっていい。
そのことを私は、もう少し自分に許してあげてもいいのかもしれません。
もっと自分を信じてあげて、自分を守ってあげなければ、誰が守ってくれるのか、もっとそのことに早く気付くべきでした。
逃げるのはポンコツだからじゃない、自分を守るための賢い選択
昔の私は、「逃げる」という言葉にどこか後ろめたさを感じていました。
でも今は少し違います。
逃げるのは卑怯な手ではなく、自分を守るための選択。自分が機嫌よく過ごすための手段。
もうそろそろ、自分を人生の中心においてあげてもいい。
ずっと自分をポンコツだと思っていたし、今だってその気持ちがなくなったわけではありません。長年の思考の癖からはそう簡単に抜け出せそうもありません。
でも、この小さいけれど大きな事件をきっかけに、私は大きな扉を開けたような気がしています。
やっと取り戻せた、自分の人生を自分の手に。
ポンコツだけど、ポンコツだから逃げたわけじゃない。私は自分を守るために逃げるという選択をしただけ。
これからもきっと、人の機嫌に敏感な自分が急に変わることはないと思います。
でも、自分を守る方法は選べる。
そう気づけただけでも、今回経験したことは無駄ではありませんでした。
もし同じように、人の機嫌に振り回されて疲れてしまうことがあるなら、逃げるという選択肢を自分に許してあげることは、決して間違いではありません。
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