私には関係ない。
この言葉を、私はずいぶん長いこと使ってきました。
- 若い人の流行
- 新しい音楽
- SNS
- 新しい便利グッズ
次々に流れて来てはすぐに去っていく情報に辟易していることもありますが、そのほとんどを
「もう私の年齢には関係ない」
と、そもそも受け入れることを拒絶していました。
でも今年のゴールデンウィーク、久しぶりに会った息子たちが、私の頭を少しだけアップデートしてくれました。
「自分の年齢には関係ない」と思わない事の大切さ
例えば、「友達親子」というような言葉が浸透してきて、娘と服を共有するという方も多いと思います。
実際、街でも仲良しな親子が「きっと娘さんの服を借りているのだろうな」と思われるファッションをまとった私世代のお母さんを見かけたりもします。
微笑ましい事ですが、それを見るにつけ

ま、私には関係ない事
と無関心でいました。
思考が昭和のまま固まっているというのは自分でも自覚していて、でも年相応でそんなものだろうとも思っていました。
ただこの考えを打ち破った、ある意味「目から鱗」な出来事があったのです。
自己肯定感爆上がり!若い子が使うものだとばかり思っていた眉ティント
眉ティントというものをご存知でしょうか?
以前スポーツジムに通っていたころは周りにいる年齢層も幅広く、運動が終わってシャワーを浴びた後、髪を乾かしメイクを直しながら、自分の知らない美容アイテムを知る良い機会でもありました。
その後コロナでジムを退会した後は、自粛要請「ステイホーム」があったわけですが、それは
私にとってはいわば「ホーム」、むしろ頻繁に外に出かけて行っていたその頃が「アウェイ」。
「アウェイ」にいれば1人では知る由もなかった情報を耳にし、「ほ~」と思う事もたくさんあったのでしょう。
まぁそれが必要かどうかは別としてですが。
眉ティントの話に戻しますが、ジム仲間が使っていて知ってはいたものの、若い女性が使っていたため、いつものように「自分には関係ないもの」を見向きもしなかったわけです。
それがある日巡り巡って試してみたところ、これが私の中で大ヒット!
動画でも紹介しているのでもし興味があればご覧ください。
私が感動したのは、眉が描けたことだけではありません。
朝、鏡を見た瞬間に



今日はちゃんと私がいる
と感じられたことでした。
- 歳だから仕方ない
- 悲しいけど私なんてこんなもの
こんな悲しい気持ち、朝から持ちたくないです。
小さなことですが、自己肯定感を上げるためには大切なアイテムであり、大切な「仕組み」でもありました。
次男からのバージョンアップアイテムは「音楽」
現在大学4年生の次男、そしてこの世代は面白いことに
私たちの世代が若い頃に聞いていた音楽を「新しい」と感じ
て熱心に聞いているようです。
例えば、ある日息子が松原みきさんの「真夜中のドア〜stay with me」を聞いているのでびっくりしたことがあります。なんでも世界的?にリバイバルしているとかで、それにも驚かされました。
2000年生まれの次男はあるころから80年代のポップスにハマり、サブスクでは次々におススメと称してそれらの曲が紹介されるため、今や彼の再生リストは私が知っている曲ばかりになったほど。
それを私も聞いているうちに気に入ってしまったアーティストができたほど。
テイストが80年代を思わせるサウンドで、私世代が聞いても何ら違和感がないのです。
次男の姿を見ていて感じたこと、それは
若い世代は古いものを「古い」と思っていない
ということでした。
私が通り過ぎてきたもの=過去の古びたこと、なんならダサいと思っている
若い子=え、なにこれ新鮮!新しい!良き!
なのですね。
これは私にとっても、とても新鮮な気づきでした。
長男からのアップデートは「カードゲーム」
久しぶりに会った社会人の長男から私にインストールされたのは、意外なものでした。
それはカードゲームと言われるもの。
うちの息子たちは小さい頃からまわりの子たちに比べてテレビゲームの類にさほど関心がなく、その時間を読書に充てて過ごしていました。
これは多分、私たち夫婦が一切ゲームをすることがなく、趣味は読書で図書館にも頻繁に通っていたというバックグラウンドも多少影響していたかと思います。
また、家族で楽しむためにボードゲームもいくつか家にあったものの、さほど盛り上がらないまま押し入れの奥へ。
正直に言ってしまえば夫はこういう類に興味がない、私といえば同じくあまり興味がなく、トランプに至ってはかなりのトラウマ(後述します)があったため、家でほとんどやったことはありませんでした。
そのうち息子2人の興味は将棋やチェスに向いていき、それを兄弟で楽しむという我が家のスタイルが定番となっていきました。
そんな長男が今とてもハマっていて、社会人になった今でも学生時代の友達が集まるとやっているというカードゲーム。
そもそも私がトランプやカードゲームが苦手なのは、
- 初見のゲームが多くルールを覚えるのに時間がかかる
- ゲームに慣れていないため勝ち筋がわからない
が主な理由です。
私にとって「ゲーム(勝負)に負ける」というのは何とも思わない事で、むしろ場が和むのなら進んで負けに行きますよ、というスタイル。
でもゲーム好きの人がすべてとは言いませんが、勝ち負けが絡むと熱くなったり、はたまた暴言を吐くことがあるなというのが私の分析。
結果、大勢の前でそれをネチネチやられたことで、「負け好き」な私もさすがに完全にトラウマになってしまったのです。
だから我が家はウノ禁止令が出ています、アハハ
そんなゲーム苦手な私が長男の住まいに遊びに行ったところ、「面白くて簡単だから一緒にやろう」と配られたカードゲームが「ザ・ゲーム」でした。
すでに絵が怖いし、苦手意識が異常に強いから簡単といっても全然頭に入ってこない。
例のあの嫌な感じが一瞬にして蘇ってきました。
カードゲームの苦手な所の一つとして、競うようにして相手を負かすこと。
ゲームが白熱して熱くなってくると、その人の本性が垣間見えてしまい、その時に感じた嫌な気持ちを、その時だけにとどまらずその後もずっと引きずってしまう、それが本当に苦しい。
しかし実際に始めて見ると、私の気持ちを熟知している長男が「大丈夫だから」というだけあり、
このザ・ゲームは相手と争うのではなく、全員で協力し合ってクリアしていくというものでした。
そういえば長男は小学生の頃、「サッカーは好きだけど自分が失敗したらみんなに悪いからやりたくない」と言っていたことを思い出しました。
わかる、その気持ち。
結局「ザ・ゲーム」は、久しぶりに家族四人で頭を突き合わせて楽しく終えることができました。
勝たなくていい、負けもしない、ただただ穏やかな時間。



ゲームって競い合うだけじゃないのもあるのね
これも今の私が気づける新しい出来事でした。
嫌だやりたくない、だけでは決して見えてこなかったこと。
私を知っている長男が勧めてくれたものなのだから、もっと素直に受け入れればいい。
飛び込んでいいんだ。
きっと私はこれまでずいぶん多くのものをこの手からみすみす逃してきたのでしょう。今思えばもったいない事です。
でもこれからは違います。
信じていい相手を選び、その相手が言うことなら絶対的に信用してもいい、自分にはきっとそれが肌感覚でわかるはず。
私には関係ない、と思うクセをやめてみると見えてくること
最近思うのです。
年齢を重ねるというのは、新しいことをやめることではない。
自分に合うものだけを選び取れるようになることなのかもしれません。
若い人の流行を全部追いかける必要はありません。
でも、「私には関係ない」と決めつける前に、一度だけ立ち止まってみる。
ガチガチに固まって開きにくいけど、こじ開けてみる。扉を開けてみる。
すると、不思議なくらい今の自分にぴったり合うものが見つかることがあります。
私はそれを、息子たち(若い世代)から教わりました。
人生は、いくつになってもアップデートできる。
最近、それが少し楽しくなっています。







