洗濯をしたり、食器を洗ったり、朝のいつものルーティンをこなしながらオーディブルを聞いていた時、流れてきた一節が心に刺さりました。
その答え、誰から?
その言葉から、私の思考は心の奥の奥の方へ、深く潜っていきました。
声の大きな人が「普通」を作ってしまう
瀬尾まいこさんの小説「夜明けのすべて」。
それはこんな会話でした。
この短い一文は、私の心を大きく揺さぶりました。
その原因を探るために、私は自分の心に沈む必要がありました。
普段なら聞き流してしまうような、消え入りそうな揺れるろうそくの火。
それがわずかながらも引っかかったのであれば、今、向き合う必要があるのです。
今の時代、情報は簡単にネットで手に入る
昔、私が情報を知るにはテレビ・FMラジオ・本、それがすべてだったように思います。
それは今のようにリアルタイムではなく、事象から少しではあるけれど時間を置いたもの。
その小さな『間』が、今とは大きな違いになったのだと思うのです。
SNSのない時代なら、頭の中で咀嚼して、あまりにも飲み込めないもの以外であれば、なんとなく飲み下してしまったのでしょう。
今は、その小さな『間』を自分で作らなければなりません。
簡単に手に入れられる情報は、声の大きい人のものが目立つ
これまでSNSとは疎遠だった私ですら、今では発信する側になっています。
それでもSNSだけを情報源にはしていません。
単に私が年配者だからということもあるでしょう。
それに、昔から一つの投稿だけを鵜呑みにせず、元になった情報を確かめる癖があります。
そんな私ですら、流れてくる投稿に眉をひそめる事が多いです。
大きい声をあげる人の言葉は刺激的で拡散されやすく、それがいつの間にか「世の中の意見」のように見えてしまうことがあります。
声の大きさと正しさは、別。
そう思っていないと、あっという間に声高の波にのまれてしまうでしょう。
あなたのことを知っている人の意見じゃないでしょう?
以前、長い間ブログを運営していたことがあります。
その頃はまだSNSは過渡期で、発信する手段のメインはブログという時代でした。
読者との交流はコメントで。私の拙いブログでも、ありがたいことに毎日読んでくださる読者さんが多くいました。
その多くは私の側に立ってくれて、私の失敗などは苦笑しながらそっと見守ってくれる。
あとで読み返してみて顔を赤らめるような乱文であっても、わざわざそれを指摘するような人はいませんでした。
それでも、分母が大きくなればなるほど、ちらりほらりと「望まざるお客さん」が現れることがありました。
それはそれはひどい言葉をぶつけられたことも。
でも、そういう人はいつもの読者さんではありませんでした。
何かの拍子で偶然たどり着いた、その時無性に機嫌が悪かった、そしてたまたま私が偉そうなことを書いていた
よし、傷つけてやろう
そんな流れだったのかもしれません。
その方はスカッとする
私はその後延々と苦しむ
こうして振り返ってみると、こんな「当たり事故」みたいなものに苦しめられていたなんて…と思えます。
時間がたち、少し離れたところから自分を見られるようになった今だからこそ、そう思えます。
声を上げない人たちは、どこにいるんだろう
ネット上にはありとあらゆる「コトバ」が溢れています。
特に「大きな声」は目立ちやすい。
大きくて、多い。
だからいつの間にか、それが世の中の大多数であるような錯覚を起こしてしまうのかもしれません。
だとしたら声を上げない人たちは、どこにいるんだろう。
60代なんだからこうしなきゃいけない
こうするのが正解・こうしないと損
みんな「それぞれの正しいと思うこと」を発信している。
それ自体は悪い事ではありません。
声が大きい人もいるでしょう。
じゃぁ、声を上げない人は「何も考えていない人」なのでしょうか。
私が思うに、
ただ声が小さいだけ、もしくは
そういう考え方もあるよね
と受け止めているだけ。
受け入れているわけではないのです。
その「正しさ」を、「私の答え」にしなくていい
あのとき私を傷つけた人たちは、私のことを知っていたのでしょうか?
いいえ。私のことなど何も知らない人たちでした。
あなたのSNSに負の感情をぶつけてきた人は友達ですか?
きっと違いますよね。
違う意見があって、どうしても看過できないのであればそれをコメントに書き込む人もいるでしょう。
でもそれは、ただそれだけ、です。
意見が違う・解釈が違うだけ、なのです。
そこに、必ずしも「あなたが間違っている」という答えがあるわけではありません。
ネットは怖い、だから「見なければいい」ということでもありません。
参考にすればいいのです。
そういう意見もあるな、ふむふむ、と。
影響だって受けます。だって強い意見だから。
だけど、最後に選ぶのは、自分。
振り回される必要は、絶対にないのです。
静かな人にも、ちゃんと答えがある
世の中は「声が大きい人」の意見が目立つけれど、
「声が小さい人」もちゃんと存在します。
むしろ、声を上げずに自分の中で考えている人のほうが多いのかもしれません。
声が大きい
その意見は間違ってる
だからあなたはだめなんだ
そんな声をあげる人はいます。悲しいけれど。
でも「声が小さい人」にできる、強力な盾があります。
それは
「私はこれが好き」 「これは嫌だ」 「私にはこれが合っている」
と、静かに選ぶこと。
自分の暮らしの中に落とし込むことでぶれずに済みます。
静かに内省するのもおすすめです。
長年の経験から得た「自分の取扱説明書」の最重要事項でもあります。
立ち止まることをせず、違和感を持ちながらも先に進んでしまう
その方が断然楽だけれど、それによってのちに感情に歪みが出てしまうのは経験上わかったこと。
だから立ち止まり、俯瞰で自分を観察する必要があるのです。
そして、「選ぶ」のです。
声が大きくて自分を傷つける人の声を拾わなくていい。
否定はしない、ただ選ぶだけ。
私を一番長く見てきたのは、私なのだから。
私の答えは私だけのもの。
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